要旨
- 日本の社会保障制度は財政的・人口動態的な圧力に直面しており、労働人口の減少、費用の増大、そして低迷する経済成長が、従来の資金調達モデルの持続可能性を脅かしている。アクセス、コスト、質のバランスを保ちつつ、負担の公平性を確保し国民の信頼を守るための包括的な改革が急務である。
- 他の政府予算からの財源の付け替えによって医療財政を持続的に賄うことは不可能であり、新たな歳入源を模索しなければならない。本報告書では、酒税・たばこ税や観光税の引き上げ(導入)、消費税および法人税の見直し、富裕税の創設や内部留保への課税、保有資産を反映させた健康保険料の引き上げ、そして適度な窓口負担の引き上げなど、税および保険料に基づく様々な選択肢を検討する。これらの選択肢には、それぞれ独自の財政的、制度運営上、あるいは合意形成上の、メリット、デメリットが存在し、制度の長期的な存続可能性を確保するためには慎重な検討が求められる。
- 従来の所得連動型保険料のみでは、医療費の高騰や格差の拡大に伴う富の偏在化に十分に対応しきれなくなっている。そのため、個人および法人の資産(ストック)を反映させた負担の在り方を検討することは、日本の医療財政を確保する上で、より公平かつ持続可能なアプローチとなりうる。
- 金融資産や不動産を含む個人および法人の資産保有額を反映させるよう負担額の算定基準を調整することで、政策立案者は政治的抵抗を抑えつつ、負担能力のより高い層からの財源確保を拡大することが可能となる。
本稿は、各分野の第一人者である以下の有識者(アルファベット順)による提言を参考に作成された。本報告書で提示されている知見は、これらの専門家との総合的な議論に基づくものであるが、ここで表明された意見、提言、および最終的な結論は専ら著者のものであり、協議した専門家個人の見解を代弁するものではない。なお本レポートは英語で書かれた原文の翻訳である。
市川衛 (医療ジャーナリスト、武蔵大学社会学部メディア社会学科准教授)
伊藤由希子 (慶應義塾大学商学部教授)
城 克文 (ボストンコンサルティンググループ シニア・アドバイザー、元厚生労働省医薬局長)
乗竹亮治 (日本医療政策機構代表理事・事務局長)
矢野康治 (国際医療福祉大学社会保障政策研究所長、元財務省事務次官)
はじめに
医療費の増大、急速な高齢化、そして低迷する経済成長が、国民皆保険制度を支えていた財政基盤を揺るがしており、日本の社会保障制度への圧力はかつてなく高まっている。自己負担、保険料、および公費という従来の財源構成そのものが限界を迎えており、現役世代に過度な負担を強いるとともに、政府の財政的な選択肢を狭め、万人に平等な医療アクセスを提供するという制度の存立そのものを脅かしている。国の歳出の3分の1を社会保障費が占め、既存の財源が需要の伸びに追いつかない中、日本は重要な課題に直面している。それは、「現在の枠組みにとらわれない新たな財源確保の方策をいかに構築し、持続可能で質の高い医療を維持していくか」という問いである。
第1章:日本における医療制度改革の背景:財政、経済、政治環境
1.1 日本における医療の負担構造
日本の医療制度改革を論じるにあたっては、まず、国民負担と社会保障の「三本柱」という広い枠組みの中に医療費を位置づける必要がある。日本は、社会保険方式(共助)を基本としながらも、多額の公費(公助)を投入する仕組みを運用している。 このモデルは、民間負担への依存度が高い米国や、英国や北欧諸国に見られる税方式主体の制度とは異なる。また同じ社会保険方式を採用しながらも公費投入が限定的な独仏とも一線を画すものである。¹
長年、日本の国民皆保険制度は、全構成員が制度を支えるという原則を基盤としてきた。この論理は、所得格差が比較的小さく厚みのある中間層(生産年齢人口)、安定した人口構成、そして力強い経済成長を前提としていた。しかし、格差の拡大、人口ピラミッドの逆転、経済停滞に直面する現在、この前提は崩壊している。このような状況下で従来の負担構造を維持することは、社会的な合意形成および財政運営の両面において、極めて困難となっている。
したがって、医療財政の改革は単なる財政数値の調整にとどまらず、「負担と給付の公平な分配」を再定義する問題でもある。具体的には、現役世代と高齢者世代の間、あるいは所得・資産状況に応じた負担の公平性をどう確保するかという問いである。 高齢化が加速する中、現役世代は、将来の制度の持続性に不安を抱えながら、増大する一方の負担を背負わされているのが実情である。
1.2 改革の緊急性
日本の医療財政の持続可能性という課題に直ちに取り組むべき理由は、国の一般会計予算の構造そのものにおいて明白である。2025年度の歳出総額は約115兆2000億円(7480億米ドル)と見込まれており、社会保障関係費が約3分の1を、国債費がほぼ4分の1を占めている。さらに、金利の上昇と政府借り入れの増加に伴い、この国債費の割合は今後さらに上昇することが見込まれる。²
このような厳しい財政制約の下、政策立案者は「保険料の引き上げ」、「公費(税)投入の拡大」、あるいは「給付範囲の見直し(削減)」や「窓口負担の引き上げ」という、極めて困難な課題に直面している。現在、国民医療費の財源構成を見ると、約半分を保険料が賄い、公費が約4割を占めている。一方、窓口負担の割合はここ10年ほど11〜12%程度で推移しているが、医療費総額の膨張に伴い、各財源にかかる圧力は限界に達しつつある。³
1.3 安定という幻想
患者の視点から見れば、日本の医療制度は依然としてアクセスが極めて容易であり、費用負担も比較的低く抑えられている。しかし、そのアクセスを支える費用構造は脆弱化しつつある。医療経済学の研究が示すように、医療費はGDPの成長を上回るペースで増大する傾向にある⁴⁵日本においては、急速な高齢化がこの傾向にさらに拍車をかけており、医療需要は他の先進諸国よりも急速に高まる可能性が高い。
この不均衡は、質の高い医療へのフリーアクセスの維持の可能性を危うくし、国民の不安を増幅させている。有権者は普遍的なアクセスを広く支持しており、窓口負担の引き上げが、経済的な余裕のない人々の医療アクセスを制限することに懸念を抱いている。⁶⁷その一方で、実質賃金が停滞する環境下における一律の増税は依然として極めて不評であり、また、増大する費用を賄うためにサービスの質を低下させることは国民の強い反発を招く傾向にある。
医療制度改革の本質的な課題は、単なるコスト抑制にとどまらない。それは、厳しい財政的・人口動態的な制約の下で、いかにして医療へのアクセス、負担可能性、持続可能性、そして質を維持していくかという点にある。 負担の軽減を優先するあまり医療の質を犠牲にするような財源改革は、国民の支持を得られず、持続性に欠ける。同様に、制度の正当性や負担のあり方という根本問題に向き合わず、薬価引き下げなどの対症療法的なコスト削減のみに終始する解決策は、国民の信頼やイノベーションへのインセンティブを損なう恐れがある。
日本の医療制度を持続させるためには、「誰が費用を負担するのか」という前提を再構築する必要がある。そのためには、財政的な現実と社会的な期待の双方を考慮し、将来の負担を、透明性が高く信頼できる「応能負担(負担能力に応じた負担)」の原則に立脚させる枠組みが求められる。
第2章:新たな財源
2.1 新たな財源の必要性
日本の財政的な限界と、政府部門間での競合する資金需要を考慮すると、単に他の予算を医療に付け替えることは、財政的にも政治的にも実現困難である。日本の一般会計予算は、防衛力の近代化、インフラの維持管理、および国債費によってすでに逼迫している。2025年度の歳出において国債費だけでほぼ25%を占めており、これは金利の上昇に伴いさらに増大することが見込まれている。⁸
政府支出を巡る需要の競合に加え、日本において医療、介護、年金、および福祉を網羅する社会保障の費用は増大し続けている。社会保障費は、主に人口の高齢化に伴う医療費および介護費の増加を背景に、20年前のGDP比約7%から現在では約11%にまで上昇している。2025年度の一般会計予算において、社会保障関係費は歳出総額の33%以上を占めるに至っている。現在の予測では、社会保障費の総額は2040年に向けて増加し続けると見込まれている。⁹

公的債務は総額ベースですでにGDPの250%を超えており、金利の上昇が国債費の負担をさらに重くしている。¹⁰ 国内の単年度の財政収支は改善傾向にあるものの、地政学的な緊張によって防衛費がさらに押し上げられる可能性があり、この傾向は反転する恐れがある。このような状況下において、赤字支出(国債発行)による財源の拡大は、長期的なリスクを増幅させる。
医療財源を拡充するという現在の必要性に対処するため、日本は、税または保険料(拠出金)に基づいたメカニズムを通じて新たな歳入源を検討・評価しなければならない。そして、その選択肢のそれぞれに、独自の財政、行政、政治に関するメリット、デメリットが存在する。
2.2 新たな財源の選択肢の実現可能性の評価
2.2.1 酒税、たばこ税
酒税およびたばこ税は、先進国において医療・健康関連の特定財源を確保するための手段として最も広く用いられているものの一つである。その政策的根拠は、歳入の確保と、たばこやアルコール関連疾患にかかる医療費を消費者に転嫁するという、2つの目的を結合させたものである。
日本において、これらの税は現状では医療の目的税(特定財源)に指定されていないものの、すでに一般財源に対して意味のある貢献をしている。
国と地方のたばこ税を合わせた税収が2兆円を下回ることは稀である。2023年には2兆1500億円であった。¹¹学術的な分析によれば、この安定性は偶然ではなく、販売本数が減少する中で、財務省がこの税収の下限を維持するために税率を調整してきた可能性があることが示唆されている。¹²37年間(1985年~2021年)のデータを用いたある研究では、日本のたばこ税増税のタイミングを説明する上で最も妥当な最低税収目標は2兆円であったと結論づけられている。¹³
このような税収の下限水準があるにもかかわらず、長期的な構造的軌道は減少傾向にある。日本の成人の喫煙率は、1980年代後半の35%超から2020年代初頭には18%未満にまで低下しており、年間の紙巻たばこ販売本数は1996年の3480億本から2020年には1000億本を下回る水準にまで急減している。¹⁴したがって、医療に特化した税は、課税ベースが浸食されるにつれて収穫逓減に直面することになる。また、「悪行税(シンタックス)」モデルには内在的な矛盾も存在する。つまり、高い税率は消費の抑制と税収の増加という双方を目的として設計されているという点である。
購買力平価で調整すると、日本のたばこの価格はOECD加盟国の中で2番目に低い水準にとどまっている。¹⁵ 例えば、20本入りのたばこの価格は、米国が7.33米ドル、英国が13.21米ドル、そして最も高いオーストラリアが20.15米ドルであるのに対し、日本ではわずか4.78米ドルにすぎない。¹⁶ 学術的な有識者は、日本のたばこ価格がOECDの最高価格の約4分の1であると指摘している。¹⁷ このことは、高税率国で見られるような需要抑制レベルに達するまでに、まだ税率を引き上げる余地があることを示唆している。しかし、日本たばこ産業(JT)株式の政府による一部継続保有や、たばこ産業と財務省との密接な規制上の関係により、そのような増税の政治経済的側面は複雑なものとなっている。¹⁸
酒税に関しても概ね同様の状況である。日本は2023年度に約1兆1600億円(80億米ドル)の酒税を徴収した。¹⁹ 国際的なエビデンスによれば、酒税の引き上げは税収を増やすと同時に、消費を抑え、特に肝疾患、交通事故、およびがんなどに関連する医療費を削減できることが示されている。しかし、たばこと同様に、1人当たりの消費量が減少傾向にあることを考慮すると、医療財源の仕組みとして酒税に依存することは推奨できない。

さらなる構造的な限界は、現在、医療向けの目的税化(ひも付け)が行われていないことである。これらの分野における増収分は政府の一般会計に組み入れられ、もう一つの優先分野である防衛費拡大の財源として充当されてきた。²⁰日本では、たばこ税も酒税も正式に健康増進や医療財政に充てられているわけではない。たばこ税収の一部は旧日本国有鉄道(国鉄)の債務返済に充当されており、この過去の遺産的債務の存在が、医療への目的税化をさらに制約している。
2.2.2 国際観光旅客税(出国税)
日本は2019年1月に国際観光旅客税を導入し、航空機または船舶で日本を出国するすべての人に対して1,000円(約6.50米ドル)の出国税を課している。パンデミック後のインバウンド観光の急増により、2024暦年の訪日外国人数は約3,687万人に達し(2019年の約3,180万人と比較して過去最高を記録)、これに牽引される形で、2024年度(2024年4月~2025年3月)の税収は約524億~525億円(約3億3,800万~3億4,000万米ドル)となった。²¹
2026年1月、政府は出国税を1人当たり3,000円へと3倍に引き上げる方針を決定し、この増税は2026年後半に発効する予定である。しかし、この引き上げによる増収分は、医療財源ではなく主にオーバーツーリズム(観光公害)対策に充当されることが見込まれている。
医療財源としての出国税引き上げがもたらす歳入の可能性は、2つの側面から制約を受けている。第一に、歳入の観点から見ると、仮に出国者数がほぼ安定していると仮定して税率を3,000円に3倍へ引き上げたとしても、生み出される税収は年間約1,570億円にとどまる。これは意味のある金額ではあるものの、年間約46兆~48兆円(2023年度の数値に基づく)に上る日本の総医療費と比較すれば、依然として極めて限定的な規模である。²² 第二に、使途(財源配分)の観点から見ると、今回の増税案を後押しする政治的および制度的な機運は、明確にオーバーツーリズム対策と結びついているためである。
医療財政の観点からすれば、国際観光旅客税は医療に特化した財源のメカニズムとして構造的な限界を抱えている。新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミック期間(2020年度~2022年度)におけるインバウンド観光収入のほぼ全面的な崩壊や、より直近における中国関連の地政学的問題が示しているように、観光客数は地政学的なショック、為替変動、および世界的な公衆衛生上の危機に対して脆弱である。
2.2.3 消費税の引き上げ
日本の消費税(大半の財・サービスに10%の標準税率が適用され、家庭用の飲食料品には8%の軽減税率が適用される付加価値税)は、政府にとって単一の税目としては最大の歳入源である。2025年度において、消費税は国税収入総額の21.6%を占め、所得税(19.7%)および法人税(16.7%)の双方を上回った。²³ 2025年度の消費税収総額は約25兆円であった。
日本の消費税の特徴的な点は、法定の社会保障財源として位置づけられていることである。すべての消費税収は他の税収とともに政府の一般会計に組み入れられるが、法律により社会保障施策の財源に充てることが定められている。この制度設計は、消費税が人口動態の変化に伴う支出を賄うための主要な手段であるという、政府の長年にわたる見解を反映したものである。²⁴

日本の消費税率は、比較可能な他の先進諸国よりも大幅に低い水準にとどまっている。2024年度のOECD諸国における付加価値税の標準税率の平均は19%を超えており、日本の10%という税率はそのほぼ半分にすぎない。²⁵ 国際通貨基金(IMF)の分析によれば、消費税を現在の10%から15%に引き上げることで、日本の財政を中期的に持続可能な軌道に乗せるために必要な財政調整の大部分を賄うことができると指摘されている。²⁶
多くの経済学者は、消費税は労働所得や投資収益に直接課税しないため、利用可能な税制の中で経済成長を阻害しない(成長に親和的な)手段の一つであると考えている。また、家計消費は企業の利益や投資収益に比べて変動が少ない傾向があるため、景気循環の波に対しても比較的安定した税収をもたらす。
分配面における主な懸念事項は逆進性である。低所得世帯は所得に占める消費の割合が大きいため、単一税率の消費税は、富裕層よりも低所得層に対して実質的により重い負担を強いることになる。日本では、2019年の10%への引き上げと同時に導入された、飲食料品に対する8%の軽減税率によって、この問題が部分的に緩和されている。日本の税制に関するIMFの分析では、所得再分配や的を絞った現金給付を通じて、消費税引き上げに伴う逆進性をさらに相殺できると提案されている。²⁷
しかしながら、さらなる消費税引き上げを巡る政治経済的なハードルは極めて高い。消費税は1989年に税率3%で導入され、1997年に5%、2014年に8%、そして2019年に10%へと引き上げられたが、毎回の引き上げの前には長引く政治的対立が生じ、何度も延期を余儀なくされてきた。²⁸ 2014年の引き上げは景気後退の一因となり、その後の引き上げは2度延期された。近年の歴代首相は、在任中のさらなる引き上げを明確に否定しており、主要政党の中に消費税の引き上げを積極的に公約に掲げている党は存在しない。
2.2.4 法人税
2025年度における法人税収は約20兆円に達し、一般政府歳入の約16.7%を占めた。²⁹ 国税である法人税、地方法人税、および事業税を合わせた日本の法定実効税率は、2024年現在で約31.52%となっている。³⁰この実効税率は、OECD加盟国の中で最高というわけではないものの、G7の平均を上回っており、アイルランド(12.5%)やシンガポール(17%)といった海外直接投資の誘致で競合する国・地域の税率を大幅に上回っている。
日本で繰り返されてきた法人税の引き下げは、大企業とその株主に偏った恩恵をもたらしてきた一方で、消費税の引き上げは一般世帯の負担を増大させてきた。現行政策の批判者は、法人税減税は企業が利益を賃上げや国内投資に振り向けることを前提としていたと主張している。しかし、政府自身の政策文書によれば、この前提は完全には実現されておらず、企業は代わりに内部留保を蓄積するか、あるいは海外の設備や資産に投資を行っているのが実態である。³¹
その一方で、法人税率の引き上げに対しては、それに拮抗する重大な懸念が存在する。最も根本的な懸念は、投資と資本移動に対する影響である。開放経済の下では、法人税率の引き上げは、企業が利益や事業拠点をより税率の低い国・地域へ移転させる誘因となり得る。日本への海外直接投資の流入水準が低いことは、税制を一つの要素とする日本での事業展開コストの高さが警戒されていることを部分的に反映している。³²
2010年代から2020年代半ばにかけての政府の主な方針は、税率の引き上げよりも、賃上げや投資に対する的を絞った税制優遇措置を追求することであり、この姿勢は岸田政権および石破政権を通じて維持された。内閣総理大臣高市早苗氏はこれまでの政策から転換し、防衛費の財源確保のための増税を承認したものの、同時に成長分野への大規模な補助金も公約しているため、医療費を賄うことに特化したさらなる税率引き上げが行われる可能性は低い。
2.2.5 内部留保への課税
企業の内部留保に対する課税の提案は、日本の企業環境における特有の事象、すなわち大企業による現預金の持続的な蓄積を背景としている。2000年から2020年にかけて、設備投資が低迷し賃金の伸びが停滞する中でも、日本の企業の内部留保は大幅に増加した。岸田政権の「新しい資本主義実現会議」(2021~2024年)に向けて作成された資料によれば、この期間中、企業収益に占める労働分配(従業員への報酬)や国内投資の割合が低下したにもかかわらず、内部留保が急増していたことが記録されている。³³このような企業の行動は1990年代のバブル崩壊後の事業再編に端を発しており、アジア通貨危機(1997~98年)のショックによってさらに加速した。これにより、投資よりも手元流動性を重んじるという企業の強い傾向が植え付けられ、それが20年以上にわたって持続しているのである。
内部留保課税の政策的根拠は、財政面と行動面(企業の行動変容)の双方にある。財政面では、蓄積された膨大な企業資金という財源にアクセスすることが可能となる。行動面では、企業が受動的に資金をため込むのではなく、内部留保を活用するインセンティブを生み出すことができる。企業の行動を投資や分配へと転換させるというこの目的は、依然として政府が明確に掲げる政策の優先課題となっている。
国際的な比較対象として重要なのが、韓国が2015年に導入した「企業所得還流税制(CIFT)」である。これは、賃金が停滞する中で企業が資金をため込んでいるという同様の懸念に対応して導入された。³⁴ 同制度は、税引後利益の少なくとも80%を投資、賃上げ、または配当を通じて活用・還元しなかった企業に対し、10%の付加税を課すものであった。対象となった3,000社のうち約3分の1が追加の税を支払った。しかしながら、この試みに関する分析によれば、同政策が企業の行動に与えた影響は限定的であったと結論づけられている。大部分の企業は、利益の活用戦略を根本的に変更するよりも、付加税を支払う方を選択したのである。³⁵
税務政策の観点から見ると、企業収益は稼得時にすでに法人税の対象となっているため、内部留保課税は二重課税の懸念を引き起こす。蓄積された内部留保残高に課税するということは、適法に留保された企業収益(投資準備金、リスクバッファー、研究開発など、純粋な事業目的である可能性もある)に対して二度目の課税を行うことを意味している。
2.2.6 資産連動型保険料の引き上げ(金融所得の反映)
日本の現行制度の下では、社会保険料は主に労働所得(賃金および給与)に基づいて算定されている。国民の大部分をカバーする被用者保険において、金融所得は一般的に社会保険料の算定基礎から除外されている。
これは著しい非対称性を生み出している。なぜなら、所得の大部分を金融所得や資産収益が占める富裕層世帯は、主に賃金から所得を得ている層と比較して、社会保険制度への拠出割合が相対的に低くなるからである。2024年の内閣府のデータによれば、高資産世帯(所得および貯蓄額が上位10%の層)の平均貯蓄額が2,100万円であるのに対し、若年・生産年齢世帯の平均貯蓄額は1,140万円にとどまっている。³⁶
日本の税制の分配に関するIMFの分析では、資本収益(金融所得)に対して20%の単一税率(フラットレート)が課されており、これは所得税の最高限界税率である45%よりも大幅に低いことが指摘されている。³⁷これにより、労働所得者よりも資産保有者に対する暗黙の補助金が生じている。金融所得課税の税率引き上げ、あるいは社会保険料の算定基礎への算入は、税・社会保険料制度全体の累進性を高めることになろう。
複雑な金融商品、オフショア口座、あるいは税制優遇措置の対象となる制度(NISAなど)で保有されている可能性のある金融所得を評価・課税するには、強固なデータインフラと機関横断的なデータ共有が必要となる。また、富裕層が課税を逃れるために保有資産を再編したり、非課税枠へ資産を移転したり、極端な場合にはより税制が有利な国・地域へ移住したりするなどの行動的な反応を懸念する声もある。こうした行動は日本ですでに観察されており、富裕層が税負担を軽減するためにシンガポールやオーストラリアなどの国々へ移住するケースが見られる。³⁸
包括的な資産税または金融所得への課税は、富裕層からの抵抗に直面する可能性が高い。逆に、若年層の有権者や労働組合の代表者はこれを好意的に受け止める可能性がある。これは、賃金には重く課税する一方で金融収益への課税を相対的に低く据え置くという、現行制度の不公平感に対処するものだからである。この提案を巡る政治的な敏感さを如実に物語っているのが、2021年10月のいわゆる「岸田ショック」である。当時の岸田文雄首相が金融所得課税(キャピタルゲインおよび配当所得)の税率引き上げを当初提案したところ、即座に株式市場の暴落を招き、急速な政策転換を余儀なくされた。³⁹
2.2.7 雇用主による保険料負担の引き上げ
日本の公的医療保険制度は、主に2つの制度に大別される。第一は、一定規模以上の企業の従業員を対象とする被用者保険(企業健康保険、いわゆる「健保」)であり、毎月の給与に対する一定割合として算定された保険料を労使折半で負担する仕組みとなっている。2023年度現在、約4,000万人の労働者とその被扶養者が何らかの被用者保険に加入しており、大企業向けには企業単独の健康保険組合(健保組合)を通じて、また中小企業向けには全国健康保険協会(協会けんぽ)を通じて運営されている。⁴⁰
第二の制度である国民健康保険(国保)は、被用者保険の対象とならない人々、すなわち自営業者、農業従事者、75歳未満の退職者、そしてとりわけ重要なこととして、そして社会保険の適用除外となっている一部の非正規労働者を受け入れる残余的な制度として機能している。現在、非正規労働者は日本の全就業者の約37%を占めており、1990年代初頭⁴¹から大幅に増加している。2023年度現在、約42万人が国保に加入している。国保には事業主負担の仕組みがないため、加入者は保険料の全額を自己負担することになる。⁴²
雇用主による保険料拠出の拡大策については、いくつかのアプローチが考えられる。第一に、非正規労働者に対する被用者保険の適用拡大をさらに徹底すること、第二に、労使の負担割合における事業主負担分を引き上げること、そして第三に、企業の負担能力に応じて拠出率を調整することである。強制適用の対象となる企業規模の要件は、従業員500人超(2016年)から100人超(2022年10月)、さらに50人超(2024年10月)へと段階的に引き下げられてきた。⁴³ 2022年の拡大では新たに45万人の労働者が、2024年の拡大ではさらに20万人の労働者が加入したと推計されている。

企業規模の要件を完全に撤廃すること、あるいは企業規模ではなく純粋に労働時間に基づいて強制適用の対象を拡大することは、被用者保険の適用範囲をより広範な人々に広げることになろう。これと並行して、2025年の年金制度改正法案には、既婚女性が社会保険料の負担義務の発生を回避するために労働時間を制限する大きな要因として指摘されてきた、「年収106万円の壁」(配偶者の扶養から外れる基準)を撤廃する規定が盛り込まれている。⁴⁴
適用拡大を伴わずに事業主負担を引き上げる手法として、さらに二つの選択肢が考えられる 。第一に、現在、保険料は労使で折半されているが、この『50:50』という負担割合は法律で一義的に固定されているわけではなく、事業主負担の比率を引き上げることは十分に可能である 。第二に、保険料率を総報酬に対する一律の割合とするのではなく、企業の負担能力に応じて調整する手法である 。これにより、収益性の高い企業や資本力のある企業が、制度維持のための費用をより多く分担する仕組みを構築できる 。
適用拡大が医療財政にもたらす影響は二つある。第一に、被用者保険の負担基盤が拡大することで健康保険組合等が徴収する保険料収入が増加し、多額の費用を要する国保への財政補助に充てられる資金プールが拡大する。第二に、非正規労働者が国保から被用者保険へと移行することで、慢性的な資金不足に陥っている市町村国保の財政への圧力が軽減される。
適用拡大を支持する分配面および公平性の観点からの論拠は強力である。非正規労働者は女性、若年層、および低賃金サービス業の従事者に偏っているが、現在、国保の下では、同程度の所得の正規雇用者と比較して、所得1円当たりの実質的な保険料負担が重くなっている。これは、国保に事業主負担が含まれていないためである。
本章で論じた政治的により争点となりやすい他の選択肢とは異なり、非正規労働者への適用拡大は幅広い政治的支持を得られる可能性が高い。未解決の主要な問題は、適用拡大を行うか否かではなく、どの程度、そしてどれくらいのスピードで拡大すべきかである。具体的には、中小企業の負担に対する懸念がある中で、近い将来に企業規模要件を完全に撤廃することが経済的に実行可能かどうかが焦点となっている。
2.2.8 「ワンコイン」の窓口定額負担
標準的な枠組みの下では、大半の現役世代は医療費の3割を窓口で負担し、⁴⁵ 大半の高齢患者の負担割合はそれより低く設定されている。この制度設計は、意図としては公平であるものの、特に高齢者や非救急の場面における、高頻度かつ過剰な受診の傾向と結びついている。
「コンビニ受診」の現象、⁴⁶ すなわち、医療をコンビニエンスストアのようにオンデマンドで利用できるサービスと見なし、患者が(休日や夜間の救急外来を含め)医療機関を軽症や非緊急の理由で気軽に受診する現象がある。この現象は、1972年の70歳以上を対象とした老人医療費無料化の導入に伴う、高齢者医療のほぼ無償化に端を発している。その後の制度改正により、現役並み所得のある高齢者に対しては最大3割の自己負担が復活しているものの、少なくともある元厚生労働省の官僚は、これを日本の医療制度の歴史において最も重大な政策的誤算の一つであったと評している。⁴⁷
こうした背景の下、受診1回につき500円の定額負担を導入する提案は、追加的な財源を生み出しつつ、過剰受診削減への対策となり得る。500円という額は、平均的な医療費と比較して少額の自己負担であり、必要な医療の受診を妨げない程度に低く、かつ気軽で不要な受診を抑制するには十分な額となるよう設計されている。
日本における1人当たりの年間平均外来受診回数は約12~13回と推計されており、OECD平均の約6~7回と比較して2番目に高い水準にある。⁴⁸ この受診傾向は、単にモラルハザードのみに起因するわけではない。日本の高齢化社会には正当な医療ニーズが存在する。しかし、日本特有のモラルハザードに関する先行研究は、窓口負担の撤廃または軽減が、純粋な健康上の必要性から予測される水準を超えて受診回数を増加させることを一貫して示している。⁴⁹

一律の定額負担に対する、政治的および分配面での主な反対論拠は、反対派がこれを病人や高齢者に対する「事実上の税金」であると特徴づける可能性があるという点である。窓口負担の価格弾力性に関するエビデンスによれば、平均受診回数は減少するものの、その減少は低所得層や健康状態の優れない患者に集中しており、不要な受診だけでなく、真に必要な医療へのアクセスまで手控えている可能性があることが示されている。この懸念は、他の政治的背景においても窓口負担改革の大きな障壁となってきた。
国際的な比較は、制度設計において有益な先例を提供している。ドイツの「受診料(Praxisgebühr)」は、一般医(GP)の受診に対して四半期ごとに10ユーロの定額負担を求めるものであった。⁵⁰ これは2004年に導入され、2013年に廃止されたが、GPの受診回数を減らした一方で、低所得患者の必要な医療へのアクセスを阻害したことを示唆するエビデンスが存在する。韓国では、患者をプライマリー・ケアへ誘導するために医療機関の機能に応じて異なる窓口負担割合を導入し、三次救急医療の利用状況に測定可能な効果をもたらした。⁵¹ これらの経験は、一律の定額負担が大雑把な政策手段(blunt instrument)であり、受診行動の管理とアクセスの保護をより良く両立させるためには、より的を絞った制度設計が必要となる可能性を示唆している。
第3章:資産に基づく保険料負担の拡大
3.1 応能負担原則に基づく保険料賦課ベースの再考
本稿で評価した多様な選択肢を考慮すると、日本の医療財源の不足に対する包括的な解決策には、最終的に複数の施策を組み合わせて実行することが求められる。しかし、すべての選択肢が近い将来において等しく実現可能であるわけではない。消費税の引き上げは、財政的には大きな意味を持つものの、常に根深い反対に直面している。法人税の引き上げは、投資を阻害し資本逃避(キャピタル・フライト)を引き起こすリスクがある。現在の政治情勢においては、これらの税の引き上げ分は増大する防衛費の財源に充てるべきだとする意見が優勢である。悪行税(シンタックス)や観光税は、政治的には受け入れられやすいものの、その規模には限界がある。現在の環境において、財政的な意義、公平性の根拠、そして政治的な実現可能性を最もよく兼ね備えている施策は、保険料の算定基礎に賃金だけでなく、資産由来の所得(金融所得等)を含める形へと拡大することである。これは、公費(税)と保険料の双方に共通する課題であり、「ストック(金融所得、配当、不動産所得等)」への賦課を強化することで、既存の労働所得のみに依存する構造からの脱却を目指すものである。
日本の被用者保険の保険料は勤労所得(労働対価)と連動しているため、労働人口が減少し賃金が停滞する中で、保険料の算定基盤は、それが賄うべき医療費の伸びよりも緩やかにしか成長していないのである。このミスマッチは人口の高齢化によってさらに悪化している。現役世代に対する退職者の割合が上昇するにつれ、より少数の負担者が、より規模が大きく医療費のかさむ受給者層を支える構造となっている。保険料収入が実際の医療費ではなく労働市場の動向に左右される制度となってしまっているのである。結果として、医療費の需要と保険料収入の格差は急速に拡大しており、増大する医療制度のコストを支払う政府の能力を圧迫している。
被用者保険制度の下では、現在、保険料は賃金の平均約10%であり、労使折半で負担されている。また、標準報酬月額が139万円(8,700米ドル)に達すると上限(キャップ)が設けられ、それを超える追加的な所得に対してはすべて同じ上限額が適用される。⁵² 金融資産や不動産資産からの所得(利子、配当、キャピタルゲイン、不動産賃貸収入)は、この算定から除外されている。これらの所得フローを捕捉するように算定基盤(賦課ベース)を拡大することは、「応能負担」の観点から、真の経済的負担能力をより正確に反映することになろう。
国民健康保険(国保)の下では、事業主負担はなく、保険料は全額世帯によって支払われる。2025年度の賦課限度額は年間109万円であり、この上限には通常、世帯年収が約1,100万~1,200万円に達した時点で到達する。 ⁵³

歴史的に、国保には保険料を資産保有と部分的に連動させるメカニズムが存在した。伝統的な国保の「4方式」の保険料構造の下では、市町村は所得割、資産割、均等割、平等割の組み合わせに基づいて保険料を算定できる。⁵⁴ 所得割の部分は世帯の前年の課税所得を用いるため、自治体の規則によっては、賃金だけでなく、事業所得、利子、配当、キャピタルゲインなどの他の課税対象所得も反映させることができる。また、資産割は通常、世帯が支払う固定資産税の一定割合として算定されていたため、原則として、不動産所有はすでに国保の保険料算定に組み込まれていたことを意味する。国保の保険料決定に固定資産税を用いる方法は、賃金のみを考慮する被用者保険との間の公平性に対する懸念もあり、近年では大部分が廃止されている。
本稿で提示する提案は、被用者(加入者)および事業主(雇用者)の双方において、保険料の賦課ベースに資産由来の所得(金融所得等)を含めるというものである。 保有資産そのものに直接課税するのではなく、それらの資産が生み出す所得フローを対象とし、その一部を社会保険制度の財源として活用するのである。
法人における資産由来の所得の扱いは、それほど単純ではない。このような賦課金は、既存の健康保険の事業主負担の上に上乗せされる形で、金融収益に基づいて算定される追加的な社会保険拠出金として取り扱うことが可能である。それは企業の資金蓄積と、被用者保険における事業主負担の比較的緩やかな伸びとの間のギャップを反映するよう調整されることになろう。
保険料の算定において資産から生み出される所得フローを含めるよう拡大することは、いくつかの課題はあるものの、行政的に実行可能であり、財政的にも正当化される。対象となる所得ストリームには、利子・配当所得、実現キャピタルゲイン、不動産賃貸収入、副業による所得、およびストックオプション関連所得などが含まれる。これらを算定に含めることで、個人や企業が制度に貢献する真の負担能力をより正確に反映できるだけでなく、同等の経済力を持つ労働所得者よりも資産家世帯の負担割合が相対的に低くなるという変則的な状態を是正し、社会保険における応能負担の徹底を図ることが可能となる。
被用者および事業主が保有する金融資産と保険料負担をより密接に連動させることは、日本の医療保険制度の安定性を著しく強化することになろう。国民皆保険制度の下では全住民の加入が義務付けられており、約60%が被用者保険に、残りが国民健康保険(国保)または後期高齢者医療制度に加入している状況を鑑みると、被用者保険の算定基盤を拡大することは、とりわけ強い影響をもたらすであろう。⁵⁵
3.2 格差の是正:個人における資産ベースの保険料負担の論拠
公的な議論においては、富裕層や企業への増税が頻繁に提唱される。しかし、日本の法人税率は国際的な水準に照らしてすでに高く、また所得税についても、最高税率は地方税を含めると55.945%(所得税45%+住民税10%+復興特別所得税)に達する。⁵⁶ これはフランス、ドイツ、英国など、国民皆保険制度を有する他のG20諸国と比較しても極めて高い水準にあり、さらなる引き上げの余地は限定的である。 一方、低所得層の所得税率は相対的に低く抑えられているものの、消費税の引き上げを含め、中低所得者層へのさらなる負担増を求めることは、国民の理解を得るのが極めて困難である。
したがって、資産ベースの所得を対象とすることは、応能負担をより精緻化させた公平な代替案を提供するものであり、所得再分配の機能も果たすことになる。すなわち、医療保険制度を維持するための負担を富裕層へと移行させる一方で、労働所得者の重圧を緩和することになるからである。
資産由来の所得に新たに焦点を当てるというこの案には、2つの反論が予想される。第一の反論は政治的なものである。富裕層は、自身の投資収益を直接の標的とするいかなる措置にも反対する可能性が高いためである。また、それは貯蓄に対する罰であり、まさに政府がこれまで奨励してきた家計の資産形成を阻害するものだと特徴づけられる可能性もある。
第二の反論は行政的なものである。現在、日本には個人の資産を包括的に把握(トラッキング)するために必要な行政システムやそれを支えるインフラが欠如している。米国では、市場全体で金融、医療、税務の記録を統合するための基盤として社会保障番号(SSN)が機能している。それとは対照的に、日本のマイナンバー制度は、政府機関や金融機関の間で部分的にしか連携されていない。その結果、国の行政的な枠組みは、シームレスな資産の把握や統合的な情報管理を可能にするには至っていないのである。
必要なデータ基盤を構築し実行するには、まずは預貯金口座や投資口座をはじめとして、金融、健康保険、年金の各口座をマイナンバー(個人番号)と確実に紐付ける必要がある。しかし、多くの人々がプライバシーやデータセキュリティに対して根深い懸念を抱いているため、政界と一般有権者の双方からの政治的抵抗が、こうした取り組みを複雑なものにしている。
3.3 企業負担の引き上げ
ここでは社会保障に対する企業負担の引き上げについて詳しく考察してみたい。企業の負担は、増大する企業収益や資産の蓄積に追いついていない。図7はこの乖離を示している。2002年から2023年にかけて、健康保険の事業主負担分は6兆8,000億円から10兆6,000億円へと、約56%増加した。一方で、企業の内部留保(企業が配当としての支払いや投資に回さずに貸借対照表上に留保している利益)は、約189兆円から600兆円超へと増加し、20年間で3倍以上に膨れ上がった。換言すれば、この期間において、内部留保は健康保険の事業主負担のほぼ5倍のペースで増加したのである。
また非金融法人企業が保有する金融資産の総額は2025年12月時点で1,673兆円に達しており、過去20年間で2倍以上に増加し、同期間における社会保険料の事業主負担の伸びを上回っている。⁵⁷ 一方、法人税収は景気循環に伴って激しく変動し、2008年から2009年の金融危機時には3分の1近く落ち込んだ後、回復に向かい、2023年末時点では約15兆9,000億円(2002年比で名目66%増)となった。

企業の負担を引き上げる政策的アプローチとしては、(1) 法人税の引き上げ、(2) 内部留保への新たな課税、(3) 資産と連動した健康保険料負担の拡大、という3つが考えられる。
選択肢1は、法人税を納めていない赤字企業(全体の約70%を占める)には適用されない。また、税率の引き上げは経済成長や競争力の低下を招く懸念を引き起こし、さらに法人税の引き上げ分はすでに防衛費の財源として見込まれている。加えて、日本の法人税率はすでに高い水準にある。東京の場合、国税と地方税を合わせると、資本金の規模によって異なるものの、法定実効税率は最大で35.43%に達し、平均でも約29.7%となる。対照的に、ニューヨーク市の企業の負担はわずか17.5%である。⁵⁸ すでに政治家たちは、日本への投資を誘致するため、あるいは日本企業の競争力を確保するために、法人減税を模索している。仮に政府が法人増税に成功したとしても、それによる増収分は、産業基盤の強化や経済安全保障対策など、他の優先課題に割り当てられる可能性がある。
内部留保への課税(選択肢2)も特有の課題に直面している。第2章で述べたように、留保利益はすでに一度課税されており、企業に過度な負担を強いる二重課税であるとしばしば批判されるためである。内部留保に対する課税は、通常、行動の変化を促す手段として設計される。その目的は、受動的な資金の蓄積にペナルティを科し、企業が利益をため込むのではなく、賃金、投資、または配当を通じて活用する財務的なインセンティブを生み出すことにある。
これらの課題により、中短期的に政治的および経済的に実行可能な方法は、資産から生み出される所得を含む企業の財務能力を考慮することによって、社会保障制度への企業の負担を引き上げることとなるだろう。これは、資産由来の所得を把握して賦課金を上乗せするか、あるいは被用者保険および年金制度に対する事業主負担を活用することによって実現可能である。現在、保険料は労使で折半(50対50の割合)されているが、この割合は法律で固定されているわけではない。すなわち、事業主負担の割合を引き上げたり、企業の負担分に「富裕プレミアム」を追加したり、あるいは企業負担分に限定して賦課限度額(キャップ)を引き上げたりすることは、複雑な制度改正を避けつつ負担の適正化を図る有効な手段となりうる。この制度のさらなる利点は、割合の設定や調整が柔軟であるため、被用者の負担率を現在の水準に維持したまま、事業主負担のみを引き上げることが可能だという点である。社会保険の原則に立ち返れば、財源調達の基本は保険料率の引き上げにあるが、一律の引き上げは合意形成が困難である。そこで、相対的に負担能力(企業収益や内部留保)のある使用者側の負担割合を引き上げる(労使折半原則の見直し)ことは、現実的な財源確保策としての正当性を持つ。
配当所得、キャピタルゲイン、不動産関連収益など、特定の種類の企業資産や資産由来の所得を組み込むよう、保険料の算定基準を改定することも考えられる。このアプローチは、新たな税目を導入することなく算定基盤(賦課ベース)を拡大し、企業の真の財務能力と負担水準をより密接に一致させるものとなる。
これらの調整により、政策立案者は、増税や新たな税目の創設に伴う政治的・行政的課題を回避しつつ、確立された制度的枠組みの中で企業負担を引き上げることが可能となる。
結論
日本の医療制度が直面する構造的な課題に対応するためには、アクセス、負担可能性、および質を維持するための新たな財源が早急に求められている。このような背景の下、我々の調査・分析の結果、社会的に最も公平で、政治的に受け入れられやすく、かつ長期的な財源確保の観点から最も実行可能な手段は、保険料の算定基盤に資産由来の所得を加えることであるとの結論に至った。
第2章では、酒税およびたばこ税の目的税化(ひも付け)から、消費税の引き上げ、さらには新たな形態の窓口負担の導入に至るまで、医療の新規財源に関する8つの提案について論じた。それぞれの提案には独自の利点と欠点があり、行政上の複雑さから政治的な実現困難性に至るまで多岐にわたった。「ワンコイン」の窓口定額負担や悪行税(シンタックス)の税率引き上げなど、一部の提案については、補完的な政策としてさらに議論を深める価値がある。これらは適度な財源の増加をもたらす可能性があると同時に、医療制度の利用を抑制する可能性もある。これは、制度の長期的な財政の健全性を確保するという、もう一つの目標に資するものである。
他の税方式による手法は、強い政治的反対に直面している。実際のところ、消費税の引き上げは大幅な税収をもたらすものであり、また他国と比較して日本の消費税率が低いにもかかわらず、有権者の強い反対と大半の政治家の意志の欠如により、いかなる引き上げも極めて困難である。
資産と連動した保険料を導入することにも課題がないわけではない。例えば、個人および法人の資産由来の所得を正確に申告(把握)するために不可欠となる行政改革が必要となる。個人に関しては、これはマイナンバー制度の利用拡大によって実現可能であるが、政治的な反発を招く可能性がある。
最後に、これらの提言を実行に移すための次のステップは、それらを実行可能な政策案へと落とし込むことである。これには、国会議員、関係省庁、業界団体、および患者擁護団体と連携して枠組みを洗練させ、技術的な懸念に対処し、持続可能な(長続きする)改革に必要な合意を形成していくことが求められる。
著者紹介
マイケル・J・ジガンテ(Michael J. Gigante) アジア・グループ(ワシントンD.C.本部)のアソシエイト。エネルギーおよびヘルスケア政策を担当。ケンブリッジ大学出版局より刊行された『Factional Politics in the Liberal Democratic Party: Explaining Change and Continuity in Japan’s Economic Statecraft』の著者。現在、ジョージ・メイソン大学にて政治学の博士号取得に励んでいる。
ハナ・アンダーソン(Hana Anderson) アジア・グループ東京事務所のアソシエイトとして、日本のヘルスケアおよびテクノロジー業界に関連する課題に取り組んでいる。これまで、日本の国会、ワシントンD.C.拠点のシンクタンク、米国国務省などで、日米同盟に関する実務を経験。
林 由佳(Yuka Hayashi) アジア・グループ(ワシントンD.C.本部)のバイス・プレジデント。ウォール・ストリート・ジャーナル紙のジャーナリストとして20年間にわたり、東京とワシントンから経済、ビジネス、地政学に関するニュースを報じた。
監修
香取 照幸(Ambassador Teruyuki Katori) アジア・グループ シニア・アドバイザー。元厚生労働省幹部で、局長として社会保障、年金政策、雇用、男女共同参画、そして子ども・家庭関連政策を統括した。
Media
Commentary
日本の医療制度の安定化を目指して:新たな財源確保に向けた提言
要旨
本稿は、各分野の第一人者である以下の有識者(アルファベット順)による提言を参考に作成された。本報告書で提示されている知見は、これらの専門家との総合的な議論に基づくものであるが、ここで表明された意見、提言、および最終的な結論は専ら著者のものであり、協議した専門家個人の見解を代弁するものではない。なお本レポートは英語で書かれた原文の翻訳である。
市川衛 (医療ジャーナリスト、武蔵大学社会学部メディア社会学科准教授)
伊藤由希子 (慶應義塾大学商学部教授)
城 克文 (ボストンコンサルティンググループ シニア・アドバイザー、元厚生労働省医薬局長)
乗竹亮治 (日本医療政策機構代表理事・事務局長)
矢野康治 (国際医療福祉大学社会保障政策研究所長、元財務省事務次官)
はじめに
医療費の増大、急速な高齢化、そして低迷する経済成長が、国民皆保険制度を支えていた財政基盤を揺るがしており、日本の社会保障制度への圧力はかつてなく高まっている。自己負担、保険料、および公費という従来の財源構成そのものが限界を迎えており、現役世代に過度な負担を強いるとともに、政府の財政的な選択肢を狭め、万人に平等な医療アクセスを提供するという制度の存立そのものを脅かしている。国の歳出の3分の1を社会保障費が占め、既存の財源が需要の伸びに追いつかない中、日本は重要な課題に直面している。それは、「現在の枠組みにとらわれない新たな財源確保の方策をいかに構築し、持続可能で質の高い医療を維持していくか」という問いである。
第1章:日本における医療制度改革の背景:財政、経済、政治環境
1.1 日本における医療の負担構造
日本の医療制度改革を論じるにあたっては、まず、国民負担と社会保障の「三本柱」という広い枠組みの中に医療費を位置づける必要がある。日本は、社会保険方式(共助)を基本としながらも、多額の公費(公助)を投入する仕組みを運用している。 このモデルは、民間負担への依存度が高い米国や、英国や北欧諸国に見られる税方式主体の制度とは異なる。また同じ社会保険方式を採用しながらも公費投入が限定的な独仏とも一線を画すものである。¹
長年、日本の国民皆保険制度は、全構成員が制度を支えるという原則を基盤としてきた。この論理は、所得格差が比較的小さく厚みのある中間層(生産年齢人口)、安定した人口構成、そして力強い経済成長を前提としていた。しかし、格差の拡大、人口ピラミッドの逆転、経済停滞に直面する現在、この前提は崩壊している。このような状況下で従来の負担構造を維持することは、社会的な合意形成および財政運営の両面において、極めて困難となっている。
したがって、医療財政の改革は単なる財政数値の調整にとどまらず、「負担と給付の公平な分配」を再定義する問題でもある。具体的には、現役世代と高齢者世代の間、あるいは所得・資産状況に応じた負担の公平性をどう確保するかという問いである。 高齢化が加速する中、現役世代は、将来の制度の持続性に不安を抱えながら、増大する一方の負担を背負わされているのが実情である。
1.2 改革の緊急性
日本の医療財政の持続可能性という課題に直ちに取り組むべき理由は、国の一般会計予算の構造そのものにおいて明白である。2025年度の歳出総額は約115兆2000億円(7480億米ドル)と見込まれており、社会保障関係費が約3分の1を、国債費がほぼ4分の1を占めている。さらに、金利の上昇と政府借り入れの増加に伴い、この国債費の割合は今後さらに上昇することが見込まれる。²
このような厳しい財政制約の下、政策立案者は「保険料の引き上げ」、「公費(税)投入の拡大」、あるいは「給付範囲の見直し(削減)」や「窓口負担の引き上げ」という、極めて困難な課題に直面している。現在、国民医療費の財源構成を見ると、約半分を保険料が賄い、公費が約4割を占めている。一方、窓口負担の割合はここ10年ほど11〜12%程度で推移しているが、医療費総額の膨張に伴い、各財源にかかる圧力は限界に達しつつある。³
1.3 安定という幻想
患者の視点から見れば、日本の医療制度は依然としてアクセスが極めて容易であり、費用負担も比較的低く抑えられている。しかし、そのアクセスを支える費用構造は脆弱化しつつある。医療経済学の研究が示すように、医療費はGDPの成長を上回るペースで増大する傾向にある⁴⁵日本においては、急速な高齢化がこの傾向にさらに拍車をかけており、医療需要は他の先進諸国よりも急速に高まる可能性が高い。
この不均衡は、質の高い医療へのフリーアクセスの維持の可能性を危うくし、国民の不安を増幅させている。有権者は普遍的なアクセスを広く支持しており、窓口負担の引き上げが、経済的な余裕のない人々の医療アクセスを制限することに懸念を抱いている。⁶⁷その一方で、実質賃金が停滞する環境下における一律の増税は依然として極めて不評であり、また、増大する費用を賄うためにサービスの質を低下させることは国民の強い反発を招く傾向にある。
医療制度改革の本質的な課題は、単なるコスト抑制にとどまらない。それは、厳しい財政的・人口動態的な制約の下で、いかにして医療へのアクセス、負担可能性、持続可能性、そして質を維持していくかという点にある。 負担の軽減を優先するあまり医療の質を犠牲にするような財源改革は、国民の支持を得られず、持続性に欠ける。同様に、制度の正当性や負担のあり方という根本問題に向き合わず、薬価引き下げなどの対症療法的なコスト削減のみに終始する解決策は、国民の信頼やイノベーションへのインセンティブを損なう恐れがある。
日本の医療制度を持続させるためには、「誰が費用を負担するのか」という前提を再構築する必要がある。そのためには、財政的な現実と社会的な期待の双方を考慮し、将来の負担を、透明性が高く信頼できる「応能負担(負担能力に応じた負担)」の原則に立脚させる枠組みが求められる。
第2章:新たな財源
2.1 新たな財源の必要性
日本の財政的な限界と、政府部門間での競合する資金需要を考慮すると、単に他の予算を医療に付け替えることは、財政的にも政治的にも実現困難である。日本の一般会計予算は、防衛力の近代化、インフラの維持管理、および国債費によってすでに逼迫している。2025年度の歳出において国債費だけでほぼ25%を占めており、これは金利の上昇に伴いさらに増大することが見込まれている。⁸
政府支出を巡る需要の競合に加え、日本において医療、介護、年金、および福祉を網羅する社会保障の費用は増大し続けている。社会保障費は、主に人口の高齢化に伴う医療費および介護費の増加を背景に、20年前のGDP比約7%から現在では約11%にまで上昇している。2025年度の一般会計予算において、社会保障関係費は歳出総額の33%以上を占めるに至っている。現在の予測では、社会保障費の総額は2040年に向けて増加し続けると見込まれている。⁹
公的債務は総額ベースですでにGDPの250%を超えており、金利の上昇が国債費の負担をさらに重くしている。¹⁰ 国内の単年度の財政収支は改善傾向にあるものの、地政学的な緊張によって防衛費がさらに押し上げられる可能性があり、この傾向は反転する恐れがある。このような状況下において、赤字支出(国債発行)による財源の拡大は、長期的なリスクを増幅させる。
医療財源を拡充するという現在の必要性に対処するため、日本は、税または保険料(拠出金)に基づいたメカニズムを通じて新たな歳入源を検討・評価しなければならない。そして、その選択肢のそれぞれに、独自の財政、行政、政治に関するメリット、デメリットが存在する。
2.2 新たな財源の選択肢の実現可能性の評価
2.2.1 酒税、たばこ税
酒税およびたばこ税は、先進国において医療・健康関連の特定財源を確保するための手段として最も広く用いられているものの一つである。その政策的根拠は、歳入の確保と、たばこやアルコール関連疾患にかかる医療費を消費者に転嫁するという、2つの目的を結合させたものである。
日本において、これらの税は現状では医療の目的税(特定財源)に指定されていないものの、すでに一般財源に対して意味のある貢献をしている。
国と地方のたばこ税を合わせた税収が2兆円を下回ることは稀である。2023年には2兆1500億円であった。¹¹学術的な分析によれば、この安定性は偶然ではなく、販売本数が減少する中で、財務省がこの税収の下限を維持するために税率を調整してきた可能性があることが示唆されている。¹²37年間(1985年~2021年)のデータを用いたある研究では、日本のたばこ税増税のタイミングを説明する上で最も妥当な最低税収目標は2兆円であったと結論づけられている。¹³
このような税収の下限水準があるにもかかわらず、長期的な構造的軌道は減少傾向にある。日本の成人の喫煙率は、1980年代後半の35%超から2020年代初頭には18%未満にまで低下しており、年間の紙巻たばこ販売本数は1996年の3480億本から2020年には1000億本を下回る水準にまで急減している。¹⁴したがって、医療に特化した税は、課税ベースが浸食されるにつれて収穫逓減に直面することになる。また、「悪行税(シンタックス)」モデルには内在的な矛盾も存在する。つまり、高い税率は消費の抑制と税収の増加という双方を目的として設計されているという点である。
購買力平価で調整すると、日本のたばこの価格はOECD加盟国の中で2番目に低い水準にとどまっている。¹⁵ 例えば、20本入りのたばこの価格は、米国が7.33米ドル、英国が13.21米ドル、そして最も高いオーストラリアが20.15米ドルであるのに対し、日本ではわずか4.78米ドルにすぎない。¹⁶ 学術的な有識者は、日本のたばこ価格がOECDの最高価格の約4分の1であると指摘している。¹⁷ このことは、高税率国で見られるような需要抑制レベルに達するまでに、まだ税率を引き上げる余地があることを示唆している。しかし、日本たばこ産業(JT)株式の政府による一部継続保有や、たばこ産業と財務省との密接な規制上の関係により、そのような増税の政治経済的側面は複雑なものとなっている。¹⁸
酒税に関しても概ね同様の状況である。日本は2023年度に約1兆1600億円(80億米ドル)の酒税を徴収した。¹⁹ 国際的なエビデンスによれば、酒税の引き上げは税収を増やすと同時に、消費を抑え、特に肝疾患、交通事故、およびがんなどに関連する医療費を削減できることが示されている。しかし、たばこと同様に、1人当たりの消費量が減少傾向にあることを考慮すると、医療財源の仕組みとして酒税に依存することは推奨できない。
さらなる構造的な限界は、現在、医療向けの目的税化(ひも付け)が行われていないことである。これらの分野における増収分は政府の一般会計に組み入れられ、もう一つの優先分野である防衛費拡大の財源として充当されてきた。²⁰日本では、たばこ税も酒税も正式に健康増進や医療財政に充てられているわけではない。たばこ税収の一部は旧日本国有鉄道(国鉄)の債務返済に充当されており、この過去の遺産的債務の存在が、医療への目的税化をさらに制約している。
2.2.2 国際観光旅客税(出国税)
日本は2019年1月に国際観光旅客税を導入し、航空機または船舶で日本を出国するすべての人に対して1,000円(約6.50米ドル)の出国税を課している。パンデミック後のインバウンド観光の急増により、2024暦年の訪日外国人数は約3,687万人に達し(2019年の約3,180万人と比較して過去最高を記録)、これに牽引される形で、2024年度(2024年4月~2025年3月)の税収は約524億~525億円(約3億3,800万~3億4,000万米ドル)となった。²¹
2026年1月、政府は出国税を1人当たり3,000円へと3倍に引き上げる方針を決定し、この増税は2026年後半に発効する予定である。しかし、この引き上げによる増収分は、医療財源ではなく主にオーバーツーリズム(観光公害)対策に充当されることが見込まれている。
医療財源としての出国税引き上げがもたらす歳入の可能性は、2つの側面から制約を受けている。第一に、歳入の観点から見ると、仮に出国者数がほぼ安定していると仮定して税率を3,000円に3倍へ引き上げたとしても、生み出される税収は年間約1,570億円にとどまる。これは意味のある金額ではあるものの、年間約46兆~48兆円(2023年度の数値に基づく)に上る日本の総医療費と比較すれば、依然として極めて限定的な規模である。²² 第二に、使途(財源配分)の観点から見ると、今回の増税案を後押しする政治的および制度的な機運は、明確にオーバーツーリズム対策と結びついているためである。
医療財政の観点からすれば、国際観光旅客税は医療に特化した財源のメカニズムとして構造的な限界を抱えている。新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミック期間(2020年度~2022年度)におけるインバウンド観光収入のほぼ全面的な崩壊や、より直近における中国関連の地政学的問題が示しているように、観光客数は地政学的なショック、為替変動、および世界的な公衆衛生上の危機に対して脆弱である。
2.2.3 消費税の引き上げ
日本の消費税(大半の財・サービスに10%の標準税率が適用され、家庭用の飲食料品には8%の軽減税率が適用される付加価値税)は、政府にとって単一の税目としては最大の歳入源である。2025年度において、消費税は国税収入総額の21.6%を占め、所得税(19.7%)および法人税(16.7%)の双方を上回った。²³ 2025年度の消費税収総額は約25兆円であった。
日本の消費税の特徴的な点は、法定の社会保障財源として位置づけられていることである。すべての消費税収は他の税収とともに政府の一般会計に組み入れられるが、法律により社会保障施策の財源に充てることが定められている。この制度設計は、消費税が人口動態の変化に伴う支出を賄うための主要な手段であるという、政府の長年にわたる見解を反映したものである。²⁴
日本の消費税率は、比較可能な他の先進諸国よりも大幅に低い水準にとどまっている。2024年度のOECD諸国における付加価値税の標準税率の平均は19%を超えており、日本の10%という税率はそのほぼ半分にすぎない。²⁵ 国際通貨基金(IMF)の分析によれば、消費税を現在の10%から15%に引き上げることで、日本の財政を中期的に持続可能な軌道に乗せるために必要な財政調整の大部分を賄うことができると指摘されている。²⁶
多くの経済学者は、消費税は労働所得や投資収益に直接課税しないため、利用可能な税制の中で経済成長を阻害しない(成長に親和的な)手段の一つであると考えている。また、家計消費は企業の利益や投資収益に比べて変動が少ない傾向があるため、景気循環の波に対しても比較的安定した税収をもたらす。
分配面における主な懸念事項は逆進性である。低所得世帯は所得に占める消費の割合が大きいため、単一税率の消費税は、富裕層よりも低所得層に対して実質的により重い負担を強いることになる。日本では、2019年の10%への引き上げと同時に導入された、飲食料品に対する8%の軽減税率によって、この問題が部分的に緩和されている。日本の税制に関するIMFの分析では、所得再分配や的を絞った現金給付を通じて、消費税引き上げに伴う逆進性をさらに相殺できると提案されている。²⁷
しかしながら、さらなる消費税引き上げを巡る政治経済的なハードルは極めて高い。消費税は1989年に税率3%で導入され、1997年に5%、2014年に8%、そして2019年に10%へと引き上げられたが、毎回の引き上げの前には長引く政治的対立が生じ、何度も延期を余儀なくされてきた。²⁸ 2014年の引き上げは景気後退の一因となり、その後の引き上げは2度延期された。近年の歴代首相は、在任中のさらなる引き上げを明確に否定しており、主要政党の中に消費税の引き上げを積極的に公約に掲げている党は存在しない。
2.2.4 法人税
2025年度における法人税収は約20兆円に達し、一般政府歳入の約16.7%を占めた。²⁹ 国税である法人税、地方法人税、および事業税を合わせた日本の法定実効税率は、2024年現在で約31.52%となっている。³⁰この実効税率は、OECD加盟国の中で最高というわけではないものの、G7の平均を上回っており、アイルランド(12.5%)やシンガポール(17%)といった海外直接投資の誘致で競合する国・地域の税率を大幅に上回っている。
日本で繰り返されてきた法人税の引き下げは、大企業とその株主に偏った恩恵をもたらしてきた一方で、消費税の引き上げは一般世帯の負担を増大させてきた。現行政策の批判者は、法人税減税は企業が利益を賃上げや国内投資に振り向けることを前提としていたと主張している。しかし、政府自身の政策文書によれば、この前提は完全には実現されておらず、企業は代わりに内部留保を蓄積するか、あるいは海外の設備や資産に投資を行っているのが実態である。³¹
その一方で、法人税率の引き上げに対しては、それに拮抗する重大な懸念が存在する。最も根本的な懸念は、投資と資本移動に対する影響である。開放経済の下では、法人税率の引き上げは、企業が利益や事業拠点をより税率の低い国・地域へ移転させる誘因となり得る。日本への海外直接投資の流入水準が低いことは、税制を一つの要素とする日本での事業展開コストの高さが警戒されていることを部分的に反映している。³²
2010年代から2020年代半ばにかけての政府の主な方針は、税率の引き上げよりも、賃上げや投資に対する的を絞った税制優遇措置を追求することであり、この姿勢は岸田政権および石破政権を通じて維持された。内閣総理大臣高市早苗氏はこれまでの政策から転換し、防衛費の財源確保のための増税を承認したものの、同時に成長分野への大規模な補助金も公約しているため、医療費を賄うことに特化したさらなる税率引き上げが行われる可能性は低い。
2.2.5 内部留保への課税
企業の内部留保に対する課税の提案は、日本の企業環境における特有の事象、すなわち大企業による現預金の持続的な蓄積を背景としている。2000年から2020年にかけて、設備投資が低迷し賃金の伸びが停滞する中でも、日本の企業の内部留保は大幅に増加した。岸田政権の「新しい資本主義実現会議」(2021~2024年)に向けて作成された資料によれば、この期間中、企業収益に占める労働分配(従業員への報酬)や国内投資の割合が低下したにもかかわらず、内部留保が急増していたことが記録されている。³³このような企業の行動は1990年代のバブル崩壊後の事業再編に端を発しており、アジア通貨危機(1997~98年)のショックによってさらに加速した。これにより、投資よりも手元流動性を重んじるという企業の強い傾向が植え付けられ、それが20年以上にわたって持続しているのである。
内部留保課税の政策的根拠は、財政面と行動面(企業の行動変容)の双方にある。財政面では、蓄積された膨大な企業資金という財源にアクセスすることが可能となる。行動面では、企業が受動的に資金をため込むのではなく、内部留保を活用するインセンティブを生み出すことができる。企業の行動を投資や分配へと転換させるというこの目的は、依然として政府が明確に掲げる政策の優先課題となっている。
国際的な比較対象として重要なのが、韓国が2015年に導入した「企業所得還流税制(CIFT)」である。これは、賃金が停滞する中で企業が資金をため込んでいるという同様の懸念に対応して導入された。³⁴ 同制度は、税引後利益の少なくとも80%を投資、賃上げ、または配当を通じて活用・還元しなかった企業に対し、10%の付加税を課すものであった。対象となった3,000社のうち約3分の1が追加の税を支払った。しかしながら、この試みに関する分析によれば、同政策が企業の行動に与えた影響は限定的であったと結論づけられている。大部分の企業は、利益の活用戦略を根本的に変更するよりも、付加税を支払う方を選択したのである。³⁵
税務政策の観点から見ると、企業収益は稼得時にすでに法人税の対象となっているため、内部留保課税は二重課税の懸念を引き起こす。蓄積された内部留保残高に課税するということは、適法に留保された企業収益(投資準備金、リスクバッファー、研究開発など、純粋な事業目的である可能性もある)に対して二度目の課税を行うことを意味している。
2.2.6 資産連動型保険料の引き上げ(金融所得の反映)
日本の現行制度の下では、社会保険料は主に労働所得(賃金および給与)に基づいて算定されている。国民の大部分をカバーする被用者保険において、金融所得は一般的に社会保険料の算定基礎から除外されている。
これは著しい非対称性を生み出している。なぜなら、所得の大部分を金融所得や資産収益が占める富裕層世帯は、主に賃金から所得を得ている層と比較して、社会保険制度への拠出割合が相対的に低くなるからである。2024年の内閣府のデータによれば、高資産世帯(所得および貯蓄額が上位10%の層)の平均貯蓄額が2,100万円であるのに対し、若年・生産年齢世帯の平均貯蓄額は1,140万円にとどまっている。³⁶
日本の税制の分配に関するIMFの分析では、資本収益(金融所得)に対して20%の単一税率(フラットレート)が課されており、これは所得税の最高限界税率である45%よりも大幅に低いことが指摘されている。³⁷これにより、労働所得者よりも資産保有者に対する暗黙の補助金が生じている。金融所得課税の税率引き上げ、あるいは社会保険料の算定基礎への算入は、税・社会保険料制度全体の累進性を高めることになろう。
複雑な金融商品、オフショア口座、あるいは税制優遇措置の対象となる制度(NISAなど)で保有されている可能性のある金融所得を評価・課税するには、強固なデータインフラと機関横断的なデータ共有が必要となる。また、富裕層が課税を逃れるために保有資産を再編したり、非課税枠へ資産を移転したり、極端な場合にはより税制が有利な国・地域へ移住したりするなどの行動的な反応を懸念する声もある。こうした行動は日本ですでに観察されており、富裕層が税負担を軽減するためにシンガポールやオーストラリアなどの国々へ移住するケースが見られる。³⁸
包括的な資産税または金融所得への課税は、富裕層からの抵抗に直面する可能性が高い。逆に、若年層の有権者や労働組合の代表者はこれを好意的に受け止める可能性がある。これは、賃金には重く課税する一方で金融収益への課税を相対的に低く据え置くという、現行制度の不公平感に対処するものだからである。この提案を巡る政治的な敏感さを如実に物語っているのが、2021年10月のいわゆる「岸田ショック」である。当時の岸田文雄首相が金融所得課税(キャピタルゲインおよび配当所得)の税率引き上げを当初提案したところ、即座に株式市場の暴落を招き、急速な政策転換を余儀なくされた。³⁹
2.2.7 雇用主による保険料負担の引き上げ
日本の公的医療保険制度は、主に2つの制度に大別される。第一は、一定規模以上の企業の従業員を対象とする被用者保険(企業健康保険、いわゆる「健保」)であり、毎月の給与に対する一定割合として算定された保険料を労使折半で負担する仕組みとなっている。2023年度現在、約4,000万人の労働者とその被扶養者が何らかの被用者保険に加入しており、大企業向けには企業単独の健康保険組合(健保組合)を通じて、また中小企業向けには全国健康保険協会(協会けんぽ)を通じて運営されている。⁴⁰
第二の制度である国民健康保険(国保)は、被用者保険の対象とならない人々、すなわち自営業者、農業従事者、75歳未満の退職者、そしてとりわけ重要なこととして、そして社会保険の適用除外となっている一部の非正規労働者を受け入れる残余的な制度として機能している。現在、非正規労働者は日本の全就業者の約37%を占めており、1990年代初頭⁴¹から大幅に増加している。2023年度現在、約42万人が国保に加入している。国保には事業主負担の仕組みがないため、加入者は保険料の全額を自己負担することになる。⁴²
雇用主による保険料拠出の拡大策については、いくつかのアプローチが考えられる。第一に、非正規労働者に対する被用者保険の適用拡大をさらに徹底すること、第二に、労使の負担割合における事業主負担分を引き上げること、そして第三に、企業の負担能力に応じて拠出率を調整することである。強制適用の対象となる企業規模の要件は、従業員500人超(2016年)から100人超(2022年10月)、さらに50人超(2024年10月)へと段階的に引き下げられてきた。⁴³ 2022年の拡大では新たに45万人の労働者が、2024年の拡大ではさらに20万人の労働者が加入したと推計されている。
企業規模の要件を完全に撤廃すること、あるいは企業規模ではなく純粋に労働時間に基づいて強制適用の対象を拡大することは、被用者保険の適用範囲をより広範な人々に広げることになろう。これと並行して、2025年の年金制度改正法案には、既婚女性が社会保険料の負担義務の発生を回避するために労働時間を制限する大きな要因として指摘されてきた、「年収106万円の壁」(配偶者の扶養から外れる基準)を撤廃する規定が盛り込まれている。⁴⁴
適用拡大を伴わずに事業主負担を引き上げる手法として、さらに二つの選択肢が考えられる 。第一に、現在、保険料は労使で折半されているが、この『50:50』という負担割合は法律で一義的に固定されているわけではなく、事業主負担の比率を引き上げることは十分に可能である 。第二に、保険料率を総報酬に対する一律の割合とするのではなく、企業の負担能力に応じて調整する手法である 。これにより、収益性の高い企業や資本力のある企業が、制度維持のための費用をより多く分担する仕組みを構築できる 。
適用拡大が医療財政にもたらす影響は二つある。第一に、被用者保険の負担基盤が拡大することで健康保険組合等が徴収する保険料収入が増加し、多額の費用を要する国保への財政補助に充てられる資金プールが拡大する。第二に、非正規労働者が国保から被用者保険へと移行することで、慢性的な資金不足に陥っている市町村国保の財政への圧力が軽減される。
適用拡大を支持する分配面および公平性の観点からの論拠は強力である。非正規労働者は女性、若年層、および低賃金サービス業の従事者に偏っているが、現在、国保の下では、同程度の所得の正規雇用者と比較して、所得1円当たりの実質的な保険料負担が重くなっている。これは、国保に事業主負担が含まれていないためである。
本章で論じた政治的により争点となりやすい他の選択肢とは異なり、非正規労働者への適用拡大は幅広い政治的支持を得られる可能性が高い。未解決の主要な問題は、適用拡大を行うか否かではなく、どの程度、そしてどれくらいのスピードで拡大すべきかである。具体的には、中小企業の負担に対する懸念がある中で、近い将来に企業規模要件を完全に撤廃することが経済的に実行可能かどうかが焦点となっている。
2.2.8 「ワンコイン」の窓口定額負担
標準的な枠組みの下では、大半の現役世代は医療費の3割を窓口で負担し、⁴⁵ 大半の高齢患者の負担割合はそれより低く設定されている。この制度設計は、意図としては公平であるものの、特に高齢者や非救急の場面における、高頻度かつ過剰な受診の傾向と結びついている。
「コンビニ受診」の現象、⁴⁶ すなわち、医療をコンビニエンスストアのようにオンデマンドで利用できるサービスと見なし、患者が(休日や夜間の救急外来を含め)医療機関を軽症や非緊急の理由で気軽に受診する現象がある。この現象は、1972年の70歳以上を対象とした老人医療費無料化の導入に伴う、高齢者医療のほぼ無償化に端を発している。その後の制度改正により、現役並み所得のある高齢者に対しては最大3割の自己負担が復活しているものの、少なくともある元厚生労働省の官僚は、これを日本の医療制度の歴史において最も重大な政策的誤算の一つであったと評している。⁴⁷
こうした背景の下、受診1回につき500円の定額負担を導入する提案は、追加的な財源を生み出しつつ、過剰受診削減への対策となり得る。500円という額は、平均的な医療費と比較して少額の自己負担であり、必要な医療の受診を妨げない程度に低く、かつ気軽で不要な受診を抑制するには十分な額となるよう設計されている。
日本における1人当たりの年間平均外来受診回数は約12~13回と推計されており、OECD平均の約6~7回と比較して2番目に高い水準にある。⁴⁸ この受診傾向は、単にモラルハザードのみに起因するわけではない。日本の高齢化社会には正当な医療ニーズが存在する。しかし、日本特有のモラルハザードに関する先行研究は、窓口負担の撤廃または軽減が、純粋な健康上の必要性から予測される水準を超えて受診回数を増加させることを一貫して示している。⁴⁹
一律の定額負担に対する、政治的および分配面での主な反対論拠は、反対派がこれを病人や高齢者に対する「事実上の税金」であると特徴づける可能性があるという点である。窓口負担の価格弾力性に関するエビデンスによれば、平均受診回数は減少するものの、その減少は低所得層や健康状態の優れない患者に集中しており、不要な受診だけでなく、真に必要な医療へのアクセスまで手控えている可能性があることが示されている。この懸念は、他の政治的背景においても窓口負担改革の大きな障壁となってきた。
国際的な比較は、制度設計において有益な先例を提供している。ドイツの「受診料(Praxisgebühr)」は、一般医(GP)の受診に対して四半期ごとに10ユーロの定額負担を求めるものであった。⁵⁰ これは2004年に導入され、2013年に廃止されたが、GPの受診回数を減らした一方で、低所得患者の必要な医療へのアクセスを阻害したことを示唆するエビデンスが存在する。韓国では、患者をプライマリー・ケアへ誘導するために医療機関の機能に応じて異なる窓口負担割合を導入し、三次救急医療の利用状況に測定可能な効果をもたらした。⁵¹ これらの経験は、一律の定額負担が大雑把な政策手段(blunt instrument)であり、受診行動の管理とアクセスの保護をより良く両立させるためには、より的を絞った制度設計が必要となる可能性を示唆している。
第3章:資産に基づく保険料負担の拡大
3.1 応能負担原則に基づく保険料賦課ベースの再考
本稿で評価した多様な選択肢を考慮すると、日本の医療財源の不足に対する包括的な解決策には、最終的に複数の施策を組み合わせて実行することが求められる。しかし、すべての選択肢が近い将来において等しく実現可能であるわけではない。消費税の引き上げは、財政的には大きな意味を持つものの、常に根深い反対に直面している。法人税の引き上げは、投資を阻害し資本逃避(キャピタル・フライト)を引き起こすリスクがある。現在の政治情勢においては、これらの税の引き上げ分は増大する防衛費の財源に充てるべきだとする意見が優勢である。悪行税(シンタックス)や観光税は、政治的には受け入れられやすいものの、その規模には限界がある。現在の環境において、財政的な意義、公平性の根拠、そして政治的な実現可能性を最もよく兼ね備えている施策は、保険料の算定基礎に賃金だけでなく、資産由来の所得(金融所得等)を含める形へと拡大することである。これは、公費(税)と保険料の双方に共通する課題であり、「ストック(金融所得、配当、不動産所得等)」への賦課を強化することで、既存の労働所得のみに依存する構造からの脱却を目指すものである。
日本の被用者保険の保険料は勤労所得(労働対価)と連動しているため、労働人口が減少し賃金が停滞する中で、保険料の算定基盤は、それが賄うべき医療費の伸びよりも緩やかにしか成長していないのである。このミスマッチは人口の高齢化によってさらに悪化している。現役世代に対する退職者の割合が上昇するにつれ、より少数の負担者が、より規模が大きく医療費のかさむ受給者層を支える構造となっている。保険料収入が実際の医療費ではなく労働市場の動向に左右される制度となってしまっているのである。結果として、医療費の需要と保険料収入の格差は急速に拡大しており、増大する医療制度のコストを支払う政府の能力を圧迫している。
被用者保険制度の下では、現在、保険料は賃金の平均約10%であり、労使折半で負担されている。また、標準報酬月額が139万円(8,700米ドル)に達すると上限(キャップ)が設けられ、それを超える追加的な所得に対してはすべて同じ上限額が適用される。⁵² 金融資産や不動産資産からの所得(利子、配当、キャピタルゲイン、不動産賃貸収入)は、この算定から除外されている。これらの所得フローを捕捉するように算定基盤(賦課ベース)を拡大することは、「応能負担」の観点から、真の経済的負担能力をより正確に反映することになろう。
国民健康保険(国保)の下では、事業主負担はなく、保険料は全額世帯によって支払われる。2025年度の賦課限度額は年間109万円であり、この上限には通常、世帯年収が約1,100万~1,200万円に達した時点で到達する。 ⁵³
歴史的に、国保には保険料を資産保有と部分的に連動させるメカニズムが存在した。伝統的な国保の「4方式」の保険料構造の下では、市町村は所得割、資産割、均等割、平等割の組み合わせに基づいて保険料を算定できる。⁵⁴ 所得割の部分は世帯の前年の課税所得を用いるため、自治体の規則によっては、賃金だけでなく、事業所得、利子、配当、キャピタルゲインなどの他の課税対象所得も反映させることができる。また、資産割は通常、世帯が支払う固定資産税の一定割合として算定されていたため、原則として、不動産所有はすでに国保の保険料算定に組み込まれていたことを意味する。国保の保険料決定に固定資産税を用いる方法は、賃金のみを考慮する被用者保険との間の公平性に対する懸念もあり、近年では大部分が廃止されている。
本稿で提示する提案は、被用者(加入者)および事業主(雇用者)の双方において、保険料の賦課ベースに資産由来の所得(金融所得等)を含めるというものである。 保有資産そのものに直接課税するのではなく、それらの資産が生み出す所得フローを対象とし、その一部を社会保険制度の財源として活用するのである。
法人における資産由来の所得の扱いは、それほど単純ではない。このような賦課金は、既存の健康保険の事業主負担の上に上乗せされる形で、金融収益に基づいて算定される追加的な社会保険拠出金として取り扱うことが可能である。それは企業の資金蓄積と、被用者保険における事業主負担の比較的緩やかな伸びとの間のギャップを反映するよう調整されることになろう。
保険料の算定において資産から生み出される所得フローを含めるよう拡大することは、いくつかの課題はあるものの、行政的に実行可能であり、財政的にも正当化される。対象となる所得ストリームには、利子・配当所得、実現キャピタルゲイン、不動産賃貸収入、副業による所得、およびストックオプション関連所得などが含まれる。これらを算定に含めることで、個人や企業が制度に貢献する真の負担能力をより正確に反映できるだけでなく、同等の経済力を持つ労働所得者よりも資産家世帯の負担割合が相対的に低くなるという変則的な状態を是正し、社会保険における応能負担の徹底を図ることが可能となる。
被用者および事業主が保有する金融資産と保険料負担をより密接に連動させることは、日本の医療保険制度の安定性を著しく強化することになろう。国民皆保険制度の下では全住民の加入が義務付けられており、約60%が被用者保険に、残りが国民健康保険(国保)または後期高齢者医療制度に加入している状況を鑑みると、被用者保険の算定基盤を拡大することは、とりわけ強い影響をもたらすであろう。⁵⁵
3.2 格差の是正:個人における資産ベースの保険料負担の論拠
公的な議論においては、富裕層や企業への増税が頻繁に提唱される。しかし、日本の法人税率は国際的な水準に照らしてすでに高く、また所得税についても、最高税率は地方税を含めると55.945%(所得税45%+住民税10%+復興特別所得税)に達する。⁵⁶ これはフランス、ドイツ、英国など、国民皆保険制度を有する他のG20諸国と比較しても極めて高い水準にあり、さらなる引き上げの余地は限定的である。 一方、低所得層の所得税率は相対的に低く抑えられているものの、消費税の引き上げを含め、中低所得者層へのさらなる負担増を求めることは、国民の理解を得るのが極めて困難である。
したがって、資産ベースの所得を対象とすることは、応能負担をより精緻化させた公平な代替案を提供するものであり、所得再分配の機能も果たすことになる。すなわち、医療保険制度を維持するための負担を富裕層へと移行させる一方で、労働所得者の重圧を緩和することになるからである。
資産由来の所得に新たに焦点を当てるというこの案には、2つの反論が予想される。第一の反論は政治的なものである。富裕層は、自身の投資収益を直接の標的とするいかなる措置にも反対する可能性が高いためである。また、それは貯蓄に対する罰であり、まさに政府がこれまで奨励してきた家計の資産形成を阻害するものだと特徴づけられる可能性もある。
第二の反論は行政的なものである。現在、日本には個人の資産を包括的に把握(トラッキング)するために必要な行政システムやそれを支えるインフラが欠如している。米国では、市場全体で金融、医療、税務の記録を統合するための基盤として社会保障番号(SSN)が機能している。それとは対照的に、日本のマイナンバー制度は、政府機関や金融機関の間で部分的にしか連携されていない。その結果、国の行政的な枠組みは、シームレスな資産の把握や統合的な情報管理を可能にするには至っていないのである。
必要なデータ基盤を構築し実行するには、まずは預貯金口座や投資口座をはじめとして、金融、健康保険、年金の各口座をマイナンバー(個人番号)と確実に紐付ける必要がある。しかし、多くの人々がプライバシーやデータセキュリティに対して根深い懸念を抱いているため、政界と一般有権者の双方からの政治的抵抗が、こうした取り組みを複雑なものにしている。
3.3 企業負担の引き上げ
ここでは社会保障に対する企業負担の引き上げについて詳しく考察してみたい。企業の負担は、増大する企業収益や資産の蓄積に追いついていない。図7はこの乖離を示している。2002年から2023年にかけて、健康保険の事業主負担分は6兆8,000億円から10兆6,000億円へと、約56%増加した。一方で、企業の内部留保(企業が配当としての支払いや投資に回さずに貸借対照表上に留保している利益)は、約189兆円から600兆円超へと増加し、20年間で3倍以上に膨れ上がった。換言すれば、この期間において、内部留保は健康保険の事業主負担のほぼ5倍のペースで増加したのである。
また非金融法人企業が保有する金融資産の総額は2025年12月時点で1,673兆円に達しており、過去20年間で2倍以上に増加し、同期間における社会保険料の事業主負担の伸びを上回っている。⁵⁷ 一方、法人税収は景気循環に伴って激しく変動し、2008年から2009年の金融危機時には3分の1近く落ち込んだ後、回復に向かい、2023年末時点では約15兆9,000億円(2002年比で名目66%増)となった。
企業の負担を引き上げる政策的アプローチとしては、(1) 法人税の引き上げ、(2) 内部留保への新たな課税、(3) 資産と連動した健康保険料負担の拡大、という3つが考えられる。
選択肢1は、法人税を納めていない赤字企業(全体の約70%を占める)には適用されない。また、税率の引き上げは経済成長や競争力の低下を招く懸念を引き起こし、さらに法人税の引き上げ分はすでに防衛費の財源として見込まれている。加えて、日本の法人税率はすでに高い水準にある。東京の場合、国税と地方税を合わせると、資本金の規模によって異なるものの、法定実効税率は最大で35.43%に達し、平均でも約29.7%となる。対照的に、ニューヨーク市の企業の負担はわずか17.5%である。⁵⁸ すでに政治家たちは、日本への投資を誘致するため、あるいは日本企業の競争力を確保するために、法人減税を模索している。仮に政府が法人増税に成功したとしても、それによる増収分は、産業基盤の強化や経済安全保障対策など、他の優先課題に割り当てられる可能性がある。
内部留保への課税(選択肢2)も特有の課題に直面している。第2章で述べたように、留保利益はすでに一度課税されており、企業に過度な負担を強いる二重課税であるとしばしば批判されるためである。内部留保に対する課税は、通常、行動の変化を促す手段として設計される。その目的は、受動的な資金の蓄積にペナルティを科し、企業が利益をため込むのではなく、賃金、投資、または配当を通じて活用する財務的なインセンティブを生み出すことにある。
これらの課題により、中短期的に政治的および経済的に実行可能な方法は、資産から生み出される所得を含む企業の財務能力を考慮することによって、社会保障制度への企業の負担を引き上げることとなるだろう。これは、資産由来の所得を把握して賦課金を上乗せするか、あるいは被用者保険および年金制度に対する事業主負担を活用することによって実現可能である。現在、保険料は労使で折半(50対50の割合)されているが、この割合は法律で固定されているわけではない。すなわち、事業主負担の割合を引き上げたり、企業の負担分に「富裕プレミアム」を追加したり、あるいは企業負担分に限定して賦課限度額(キャップ)を引き上げたりすることは、複雑な制度改正を避けつつ負担の適正化を図る有効な手段となりうる。この制度のさらなる利点は、割合の設定や調整が柔軟であるため、被用者の負担率を現在の水準に維持したまま、事業主負担のみを引き上げることが可能だという点である。社会保険の原則に立ち返れば、財源調達の基本は保険料率の引き上げにあるが、一律の引き上げは合意形成が困難である。そこで、相対的に負担能力(企業収益や内部留保)のある使用者側の負担割合を引き上げる(労使折半原則の見直し)ことは、現実的な財源確保策としての正当性を持つ。
配当所得、キャピタルゲイン、不動産関連収益など、特定の種類の企業資産や資産由来の所得を組み込むよう、保険料の算定基準を改定することも考えられる。このアプローチは、新たな税目を導入することなく算定基盤(賦課ベース)を拡大し、企業の真の財務能力と負担水準をより密接に一致させるものとなる。
これらの調整により、政策立案者は、増税や新たな税目の創設に伴う政治的・行政的課題を回避しつつ、確立された制度的枠組みの中で企業負担を引き上げることが可能となる。
結論
日本の医療制度が直面する構造的な課題に対応するためには、アクセス、負担可能性、および質を維持するための新たな財源が早急に求められている。このような背景の下、我々の調査・分析の結果、社会的に最も公平で、政治的に受け入れられやすく、かつ長期的な財源確保の観点から最も実行可能な手段は、保険料の算定基盤に資産由来の所得を加えることであるとの結論に至った。
第2章では、酒税およびたばこ税の目的税化(ひも付け)から、消費税の引き上げ、さらには新たな形態の窓口負担の導入に至るまで、医療の新規財源に関する8つの提案について論じた。それぞれの提案には独自の利点と欠点があり、行政上の複雑さから政治的な実現困難性に至るまで多岐にわたった。「ワンコイン」の窓口定額負担や悪行税(シンタックス)の税率引き上げなど、一部の提案については、補完的な政策としてさらに議論を深める価値がある。これらは適度な財源の増加をもたらす可能性があると同時に、医療制度の利用を抑制する可能性もある。これは、制度の長期的な財政の健全性を確保するという、もう一つの目標に資するものである。
他の税方式による手法は、強い政治的反対に直面している。実際のところ、消費税の引き上げは大幅な税収をもたらすものであり、また他国と比較して日本の消費税率が低いにもかかわらず、有権者の強い反対と大半の政治家の意志の欠如により、いかなる引き上げも極めて困難である。
資産と連動した保険料を導入することにも課題がないわけではない。例えば、個人および法人の資産由来の所得を正確に申告(把握)するために不可欠となる行政改革が必要となる。個人に関しては、これはマイナンバー制度の利用拡大によって実現可能であるが、政治的な反発を招く可能性がある。
最後に、これらの提言を実行に移すための次のステップは、それらを実行可能な政策案へと落とし込むことである。これには、国会議員、関係省庁、業界団体、および患者擁護団体と連携して枠組みを洗練させ、技術的な懸念に対処し、持続可能な(長続きする)改革に必要な合意を形成していくことが求められる。
著者紹介
マイケル・J・ジガンテ(Michael J. Gigante) アジア・グループ(ワシントンD.C.本部)のアソシエイト。エネルギーおよびヘルスケア政策を担当。ケンブリッジ大学出版局より刊行された『Factional Politics in the Liberal Democratic Party: Explaining Change and Continuity in Japan’s Economic Statecraft』の著者。現在、ジョージ・メイソン大学にて政治学の博士号取得に励んでいる。
ハナ・アンダーソン(Hana Anderson) アジア・グループ東京事務所のアソシエイトとして、日本のヘルスケアおよびテクノロジー業界に関連する課題に取り組んでいる。これまで、日本の国会、ワシントンD.C.拠点のシンクタンク、米国国務省などで、日米同盟に関する実務を経験。
林 由佳(Yuka Hayashi) アジア・グループ(ワシントンD.C.本部)のバイス・プレジデント。ウォール・ストリート・ジャーナル紙のジャーナリストとして20年間にわたり、東京とワシントンから経済、ビジネス、地政学に関するニュースを報じた。
監修
香取 照幸(Ambassador Teruyuki Katori) アジア・グループ シニア・アドバイザー。元厚生労働省幹部で、局長として社会保障、年金政策、雇用、男女共同参画、そして子ども・家庭関連政策を統括した。
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